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Miyajima News

2021年10月3日

1.バトンタッチ

【令和3年(2021年)10月のコラム(第250号・最終回)】 

写真左から ミヤジマの三代目、二代目、四代目 (2021.10.1朝撮影)


このたび、10月1日付で社長を弟の宮嶋俊介に交代いたしました。
私は平成14年(2002年)4月1日、39歳の時に父から社長を受け継ぎましたが、以来19年6か月の永きにわたり、皆さんに大変お世話になり、誠にありがとうございました。

 

私がミヤジマに帰ってきたのは26歳の時だが、それからしばらくして神戸の名門鍛造会社のO社長(先代)からこういう言葉を教わった。

「”売り家”と 唐様に書く 三代目」

唐様(からよう)とはハイカラとかお洒落という意味だが、三代目というのは初代、二代目と商売繁盛して恵まれた環境で育ち、教養も十分に身に付けているが、苦労を知らないために結局は店を潰してしまい、代々続いた店に「売り家」と上手な字で書いて貼るようになるものだという意味である。
つまり家業に帰ってきたばかりの私に「将来そうなってはいけないよ」と忠告していただいたわけだが、以来私の頭からはこの言葉がずっと離れなかった。
それだけにこのたび、無事に会社を潰すことなく四代目に社長を引き継ぐことができ、正直ほっとしている。

 

新社長の弟は49歳、私は来月で59歳になる。ちょうど十歳ちがいだ。
「まだ還暦にもならないのに交代は早すぎるよ」と言われることも多々あるが、そうは思わない。
なぜかといえば、バトンタッチのタイミングというものは、バトンを渡す側の状態でなく、受ける側の状態で決めるべきだと思うからである。
陸上競技のリレーで考えればわかりやすく、自分が目一杯走れるだけ走って、さあバトンを渡そうと思った時に、次の走者が待ちくたびれてしまっていたのではどうしようもない。
自分ではなく、相手が最も走れる時につないでやるのがベストではないか。
そう考えると、私は40代が一番よいのではと思う。
つまり弟は49歳だから、ぎりぎりセーフといったところなのだ。
弟は四人兄弟の末っ子で三男坊。
長男の私とはちがい、子どもの頃からお前は会社のことは気にせず自由にやればよいと言われて育ったため、今回のことは「災難」みたいなものだろう。
私には娘が三人で息子がいないため、会社の将来を考えて引き受けてくれた弟には感謝、感謝である。
性格も真っすぐで情熱にあふれ、実に信頼できる人物だ。

それだけに「あとは知らん」などと放り投げてはバチが当たる。
もちろん今後のミヤジマ丸の船長は弟なので、船長の決める航海図のもと、私は航行を全力でサポートしたいと思う。

 

今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一さんはこういう言葉を残された。

「四十、五十は洟垂れ小僧
六十、七十働き盛り
九十になって迎えが来たら百まで待てと追い返せ」

大好きな言葉である。
これに従えば、自分はまさに「これから」が働き盛りである。
今まで人に教わってきたこと、自分で経験してきたことを生かし、少しでも世の中の役に立てるよう尽力したいと思う。

今年のNHK大河ドラマの主人公、渋沢栄一翁
明治から昭和にわたり、生涯に約500もの企業の設立育成と、約600もの社会公共事業や民間外交に尽力し、次の一万円札の肖像画となられる方です。

 

平成13年(2001年)10月から続けてきたこのコラムも今回が最終回となります。
都合20年と1か月、全250号、よくもまあつまらぬことを毎月毎月書き続けてきたものだと我ながら感心する。
そんなコラムを長きにわたってお読みくださった方々には、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

どうか新社長をよろしくお願いいたします。

 

「生かせいのち」 丹波あじさい寺 観音寺 小籔実英住職

近くの犬上川沿いに咲く彼岸花 2021.9.21撮影
私と俊介の間の次男秀治の誕生日でもあり命日でもある9月20日になると決まってきれいに咲く姿を見て亡き弟を思い出し、兄弟仲よくやらんといかんなあと思う小生です 合掌

└誠一郎のコラム