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Miyajima News

2021年2月7日

母を送る

【令和3年(2021年)2月のコラム(第242号)】 


2019年12月、地元での会に両親を招待した時の母との写真

1.母を送る

1月21日(木)の午後、母が亡くなりました。満80歳と8か月でした。
昨年の7月に急性白血病であることが判り、お医者様から余命わずかと伝えられていたのですが、なんとか半年間、生き延びてくれました。
現在のコロナの状況と、母の希望もあり、どなたさまにもお知らせせず、家族だけで葬儀を済ませましたこと、心よりお詫び申し上げます。
また母が生前中に皆様から頂戴しましたご厚情に、深く御礼申し上げます。

母は長野県小谷村(おたりむら)という北アルプスの谷あいの村で六人兄弟の末っ子として生まれ、二十歳を過ぎたばかりの頃にたった一人で遠く彦根まで嫁いできました。
以来、当社の二代目である父を支え、三男一女の4人の子どもを産み育て、約60年にわたり我が家を、そして当社を守ってきてくれました。
その母に、感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。

私たち兄弟にとって、母は本当にいい「おかあちゃん」でした。
何より料理が上手で、急に友達を何人連れてきても嫌な顔ひとつせず、家にあるものでドカーンと食べきれないくらいのご馳走をいつも作ってくれました。また母は子どもを褒め育てることの天才でした。母から叱られたことは数え切れませんが、それ以上に母から褒められたことがだれだけ多かったことでしょう。私などはまさに母に「おだてられた」おかげでがんばって今があるといってもおかしくありません。
そんな母を、不謹慎な言い方かもしれませんが、コロナのおかげでずっと看病してあげることができ、最期も父と二人で見送ってあげることができたことは、本当によかったと思います。

母の死に際し、福知山のあるお坊様からこんなお悔みのお手紙を頂戴しました。
「私たちの世界では、亡くなることを”帰真(きしん)”と言います。この世は旅先での営みであり、お母様は真の場所、すなわちお釈迦様のもとへ帰られたのです」と。
このお言葉を読んで私は涙するとともに、本当の意味で母を見送ることができたのだと思うことができました。

私は「人間、本来無一物」という言葉が好きです。
人は裸で生まれてきて、裸で死んでいく。
人間である以上、欲はある。
でもどんなにお金を稼いでも、地位や名誉を得ても、そのかけらもあの世に持っていくことはできない。
持っていけるのは、この世で得られた「思い出」だけなのです。
母との思い出は、語り尽くせないほどたくさんありますが、その大切な思い出を胸に、私に残された人生を目一杯生き切り、また”真の場所”で「おかん、久しぶりやな!」と会いたいと思います。おかあちゃん、長い間ありがとうございました。


長野県小谷村にて 中学二年生の頃の母


彦根に嫁いできて長男の私を産んだばかりの母


大阪万博に行った時の父と母


四人の子どもが揃って家族旅行に行った時の母

└誠一郎のコラム