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Miyajima News

2017年1月1日

決めることの大切さ

【H29年(2017年)1月のコラム(第193号)】


   石川洋さんのカレンダーより

1.決めることの大切さ


何事も「決める」ということが大事である。
しかし、それは案外むずかしい。

たとえばそれは、食べものを決めるだけでもそうである。
一人なら、ラーメンを食べようが、寿司を食べようが、一向にかまわない。
あとで「しまった、あっちにすればよかった」と後悔しても、自分だけのことである。

しかしそれが、周りも巻き込んでの「選択」となると、急にむずかしくなる。
「自分はよかれと思っても、相手は喜ばないかもしれないな・・・」
などと悩み出せばきりが無い。
ましてそれが食べ物ではなく、会社や団体といった組織のこととなると尚更だ。

でも僕は、基本的に「完璧な選択」などないと思っている。
「こっちを立てればあっちが立たず」ということは日常茶飯事であり、
ものごと、万事万人に対して100%正しいということなどないからである。

しかし、どのような立場、環境であれ、人は生きていく中で「決める」ということを
少なからず行っていかねばならない。

では、どうすれば「できるだけ間違いの少ない決断」ができるのか?
それには四つあると思う。
一つめは、シンプルで明確な判断基準をもつということ。
二つめは、日々勉強し、考え続けるということ。
三つめは、日頃の小さな判断でもいい加減にしないこと。(→いわば予行演習です)
最後四つめは、自分の健康を保っておくということである。

「損か得か 人間のものさし、よいかわるいか 仏様のものさし」
自分の中に「邪心」があると、つい前者になってしまうものだ。
「よいかわるいか」は、「筋が通るかどうか」ということでもある。

「やるかやらないか」
これも大事な「決断」であるが、こういうときは必ず
「動機は善なりや、私心なかりしか」という言葉を思い出すことにしている。

京セラ創業者の稲盛和夫さんに教えていただいた言葉であるが、たとえ十人のうち
八人、九人が反対であっても、これは必ず世のため人のためになると思う信念と、
わずかでも体力的(資金的)な自信があれば進むべきだと思う。
大事な決断において、多数決は危険だ。「ことなかれ主義」に陥って本質を見失う
ことがある。だから決断を下す人は孤独である。
しかも万一その判断が間違っていれば、責任をとらねばならない。
でも今の世の中、優秀な人は多いが責任をとる覚悟の無い人が上に立つことが多い。
だから政治も経済も、おかしなことがよく起こってしまうのだと思う。

実は僕は本当は「はぐれ雲」のような、「何も決めない人生」が最高だと思っている。
しかし残念ながら(?)今はそういう立場にはない。だから今年も大きなこと、小さなこと、
日々「決断」、「判断」を下していかねばならないだろう。でもまずは自分の健康管理を
しっかりとし、「できるだけ間違いの少ないよう」決断していきたいと思う。


今年も皆さんにとってよいことがたくさんありますように!

└誠一郎のコラム