新着情報

Miyajima News

2016年6月3日

近鍛の理事長就任にあたって

【H28年(2016年)6月のコラム(第186号)】



1.近鍛の理事長就任にあたって

このたび、近畿鍛工品事業協同組合(通称:近鍛)の第67期総会で、
わたくしが第21代理事長の大役を仰せつかることになりました。
近鍛は近畿地区(大阪を中心として東は滋賀から西は広島まで)の鍛造メーカ49社と、
材料や設備、金型、熱処理などの関連企業41社の計90社から成る組合で、
昭和24年(1949年)創立の大変歴史ある協同組合です。私のような若輩者が
このような立派な組合の理事長を務めさせていただくことになり、その責任の重さを
ひしひしと感じております。

それにしても、私が「鍛造(たんぞう)」という仕事に就いた27年前には考えられなかった
ことです。26歳の時に愛知県の豊田工機(現ジェイテクト)という工作機械の会社を退職し、
父の経営する当社に入社したのですが、その時は正直その実情に愕然とし、「これから
自分はどうしたらええのや?」と真剣に悩みました。しかし家業に帰ってきた以上、
そう簡単にケツは割れません。

何から手をつけていいのか解らないまま、昼間は父に教えられながら現場作業、
夕方からは事務所に戻って伝票処理や見積り図面の作成(当時はまだドラフタという
製図機器を使った手描きでした)などで毎晩遅くまでがんばったものです。
何度も孤独感で泣きそうになりましたが、豊田工機時代に鍛えられた「粘り」のおかげで
なんとか耐えることができました。三河トヨタの「しつこさ」は半端ではないのです(笑)
一方、自分で見積り、やっとお客様からご注文頂けた仕事を、父や叔父、社員さんと一緒に
大汗をかきながら鍛造して一日を終えた時の満足感は最高でした。若い時の苦労は
買ってでもせよと言いますが、今になってみれば本当にそのとおりだと思います。

そんな私に、父は「ワシは殆ど外に出ることがないまま今まで来た。だからお前は
どんどん外を見て来い」と言ってくれ、鍛造組合などの工場見学会に積極的に参加させて
くれました。そこで出会ったのが神戸の老舗鍛造メーカ、岡本鉄工合資会社の
岡本好弘社長(当時)でした。その頃鍛造現場は「危険、きたない、キツイ」の「3K職場」の
最たるものとされ、人材確保が大変むずかしい時代でした。岡本社長は
「あんた、若いのにようこんなキツイ仕事に帰ってきたなあ」と優しい言葉をかけてくださり、
さらに「せっかくやから、あなたに三つのことを教えといてあげよう」と、
次の3つを「鍛造の経営三ヶ条」として教えてくださったのです。

1.筋を通せ
2.計数管理をしっかりと
3.同業者を大切にせよ

それ以来、私は毎年の手帳にこの「三ヶ条」を書き込み、常に心がけてきました。しかし
正直なところ、最初は三つめの「同業者を大切にせよ」ということの意味がよくわかりません
でした。「同業者は競争相手になるのに、馴れ合いの関係をつくれ」ということなのだろうか?」
と勘違いをしていたのです。しかし、今ではその意味が十分過ぎるほど解ります。
この27年間、私が同業者の先輩方や友人からどれだけ多くのことを教わり、時には叱られ、
時には励まされてきたことか・・・言葉では言い尽くせません。
まさにそのおかげで「今」があるのです。

このたび、大役をお受けすることになりましたが、これは私が今までお受けしてきた「ご恩」を
お返しする時がきたのだと思っています。そのためにも、「本業」をしっかりとせねばなりません。
そうしないと天国の岡本さんに怒られますから!

ご挨拶が長くなりましたが、私は本当にまだまだ未熟者です。先日もある先輩から「宮ちゃんは
一人で突っ走ってしまって顰蹙をかうことがあるから気ぃつけいや」とご忠告をいただきました。
これからは自分の責任の重さを忘れず、より皆さんのご意見に耳を傾け、じっくりと話し合い、
考えた上で進めていきたいと思います。もちろん「自分らしさ」も大切に。
今後とも皆さんのご指導ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。


総会後の懇親会場で、近鍛組合員のみなさんと(2016年5月18日)


岡本社長にいただいたカナダのモレーン湖の写真
PCのデスクトップとしてずっと使わせていただいております

└誠一郎のコラム