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Miyajima News

2015年10月1日

近藤真琴さん

【H27年(2015年)10月のコラム(第178号)】





   1994年7月 万里の長城にて (右から二人目が近藤さん)

私の初めての訪中でしたが、この頃はまだ日本人はほとんどいませんでした



1.近藤真琴さん



9月27日、大変お世話になった甲西高周波の近藤真琴さんが亡くなった。

「わしは123歳まで生きるんやで。それまで沢山やることがあるからな」と、

真剣に言っておられたのに、50年も早く逝ってしまわれた。

でもお顔はとても安らかだった。

まるで「わしはようがんばったで」と言っているような満足顔に、僕には見えた。

近藤さんとの思い出話は尽きないが、感謝の意を込め、少しだけご紹介したい。



近藤さんとは、滋賀県のモノづくり中小企業の勉強会で知り合った。

僕がまだ二十代の頃である。



失礼ながら、背が低くて丸顔で、ぽこっとお腹の出た、まるで大黒様のような

オッチャンが、ニコニコして僕のところに歩いて来て、こう話しかけてくださった。



「宮嶋さんとこは鍛造のお仕事ですか。わたしんとこは熱処理の仕事です。

どっちも鉄の仕事やからよろしくね。ところで宮嶋さん、あんたかしこそうな顏しとる

なあ。でもな、あんた若いのにかしこそうに見えるのは、実は損なことなんやで?

わしみたいにアホな顔してるとな、まわりのみんながいろいろ教えてくれはるんや。

その方がええやろ?だからな、馬鹿ではあかんがアホにならんとあかんのやで。」

こんなふうに近藤さんは、ずっと年下の僕のことを、いつも「さん」づけで呼んだ。



「馬鹿ではあかんがアホになれ」




この言葉はずっと心に残っていて、アホになりきれない自分に反省する毎日である。



その勉強会に参加するうち、親しくなった数名が野洲市にある近藤さんのご自宅に

集まって勉強会をしようということになった。その会の名前は近藤さんの名前をとって

「真琴会」とし、毎月一回、晩7時くらいに集まって夜遅くまで各社の悩みごとや課題、

問題点などについて、近藤さんを中心にみんなが真剣に、しかも親身になって話をした。

だから決算書の中身など、ふつうは話さないようなことも安心してオープンにできた。

みんな車で集まるので、もちろんお酒は抜きである。

毎回奥さんが美味しいカレーを作ってくださり、おかわりをしないと怒られるので

太って困ったが(笑)、本当にありがたかった。



この「真琴会」は十数年続いたが、この場で教えてもらったことは言葉にできない

ほど大きく、その後の会社経営にものすごく役立っている。

近藤さん版の「松下村塾」のようなものだったと思う。

この会で若手だった長浜の畑澤さんや僕が「おかげで会社が少しよくなりました」

と話すと、本当にうれしそうに聴いてくださっていたことを思い出す。

「社員さんを大事にしてもっとがんばりや」という優しい声が今でも聞こえてきそうだ。



ご冥福を心よりお祈りします。





左が近藤さん。ちなみに僕がかぶっている帽子は、長城のみやげ物屋で買って

たしか100円くらいだったような・・・。21年前の、懐かしい思い出です。



 

初めて聞いた「スーパームーン」なる言葉

会社の事務所から普通のデジカメで撮りました

やっぱり秋の月は美しいですね  2015.9.29

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