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Miyajima News

2010年7月16日

尊敬するお二人のご逝去

【2010年(平成22年)7月のコラム(第108号)】







1.尊敬するお二人のご逝去


 6月に、私の尊敬するお二人の方が亡くなられた。



 鋳造会社のI社長には、20年近く前にお会いしたのが初めてである。

ある日、中小公庫大津支店の支店長さんが、当時まだ30そこそこだった私に

「宮嶋さんと同じ金属関係で、すごい会社が貴社のすぐ近くにありますよ」

と教えてくださった。それで私はいつもの厚かましさ(?)で早速電話をしてお伺い

したのだが、その時のことは今もよく覚えている。

 その社長さんは事務所の奥からニコニコして出てきて、まったく偉そうにせず、

「あんた若いけど、熱心やなあ」と言いながら親切に工場をご案内くださったり、

経営や技術のお話を聞かせてくださった。



 「大手の設計者の中には鋳物をよう知らんとえらい造りにくい図面を描く人がいるやろ?

でもそういう時に大事なのはな、実はあえてその図面を直してもらわずに、なんとかその

図面のままで良い鋳物ができるようにすることなんや。なんでか分かるか?それはな、

あとでもし同業他社が入り込もうとしてきても、必ずそこで品質的に苦労しよるやろ?

そしたら注文は絶対によそにいかん。そういう技術力を磨くのが大事なんやで。」



私は「すごーい!!!」とびっくりしてしまったが、それよりもっとびっくりしたのは、

初対面の私にそんな“極意”を教えてくださったI社長の器の大きさであった。



 その何年か後、I社長に中国の鋳物工場を見学に連れて行ってもらったことがある。

当時の中国の工場はまだまだ国営企業が多く、正直“ひどい”工場が多かった中で、

その工場は綺麗とは言えないまでもどこかキッチリした感じを受けた。私はI社長に

「なんかこの工場は今までの工場と違いますね」と言ったところ、「お、あんた分かるか?

実はここの工場は設備の選定もレイアウトも、全部わしが考えてあげたんや」とのこと。

道理でそこの工場のエライさんがI社長のことを「先生、先生」と呼ぶわけだと納得したの

だが、その時にびっくりしたのは「I社長、それは技術指導料とかもらってやってあげた

のですか?」と訊いた私に、「そんなんもらうかいな。わしはそういうことを考えるのが

好きなだけや」とおっしゃったことである。



 I社長は質素であった。「鋳造」を通して人の役に立つのが本当に好きな方であった。





 大手スーパーのN会長に初めてお会いしたのは、私が36歳で地元のロータリークラブに

入会して間もない頃、たまたま例会でテーブルが同じになり隣で食事をさせていただいた

時である。N会長は年商4000億円、東証一部上場のスーパーの創業者であり、

地元では雲の上の存在のような方であった。



 「この方がN会長か!!」



 緊張しながらご挨拶した私に、差し出した名刺を見ながらN会長は「はー、あんたは

多賀町の会社ですか。ところでお多賀さん(多賀大社)にはお参りしてはりますか?」と

と尋ねられた。私は「はい。でも初詣と、あとは遠方からお客様が見えた時にご案内する

程度で、年に3、4回程度でしょうか?」と答えたところ、「それはもったいない。あんなに

素晴らしい神様がすぐ近くにおられるのやから、少なくとも毎月、できたら1日、どうしても

行けなかったら3日くらいまでにお参りに行きなさい。そしておみくじをひいてそこに書いて

あることを経営の参考にするとよいですよ。」と教えてくださった。



 その後もN会長は体調が良い時はできるだけ例会に出てこられ、「お店で大根を売って

いるパートのおばちゃんをどうしたら“日本一の大根売り”にできると思う?人を育てること

ほど面白い仕事はないですよ。」といった、すごくためになるお話を時々聴かせて下さった

のだが、それが今となっては私の宝物である。



以来かれこれ11年になるが、私はひと月も欠かさずお多賀さん詣りを続けている。







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