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Miyajima News

2003年12月20日

残心 ZANSHIN

【H15年12月のコラム】
富士山
東京からの帰り、新幹線からの富士山(2003.12.18撮影)
残心 ZANSHIN
剣道の言葉に「残心(ざんしん)」というのがあるのをご存知ですか。
私は中学1年から大学4年までの10年間、体育会剣道部に「所属」しておりました。
あえて「所属」と書いたのは、私の10年間の剣道生活は、お世辞にも自慢できるものではなく、練習はサボるわ、当然レギュラーにもなれないわといった10年間だったからです。それでも本当に沢山の友人を得ることができ、戦績はお恥ずかしい限りですが思い出深い試合の経験も数多くさせて頂いたこと、
そしてなによりも一応10年間続けたことで、おそらく人並みよりは丈夫な身体ができたことが「剣道」のお陰だと思っています。
そんな10年間で、最も印象に残っている教えが「残心」という言葉です。
剣道では、竹刀(しない)が見事に相手の面や小手に当たったとしても、それだけでは「一本!」になりません。「気・剣・体の一致」といいまして、体(身体)と剣(竹刀)が相手の部位を打ったとしても、そこに気(気合い)が込められていなければ、真に相手を「切った」ことにはならないのです。
その「気」の中で、とくに大事なのが「残心」です。
相手を打ったあと、すぐに気を緩めるのではなく、真に相手を打ったことを確認するまでは一切気を緩めず、いつでも再び攻める或いは守ることができるよう、「心を残す」ことが残心の意味だったように思います。
昔、愛知県の会社に勤めていたときに、Sさんという営業課長(当時)がおられました。その方は社内では歯に衣着せぬ物言いで、おまけにいつもシャツの裾がズボンからはみ出ているという「個性豊かな」方でした。
しかし、その方はお客様が来社されるときは雨の日も雪の日も、いつも早めに玄関に出てお出迎えをされ、帰られるときにはお客様の車が見えなくなるまでずっと頭を下げておられる、そんな方なんですよということを総務の女性に聞き、「ああ、人は見かけによらないなあ。この人こそ『残心』を実践されているのだなあ」と思ったことを覚えています。
おかげさまで今年も無事終わろうとしております。
「今年」が終われば1秒の隙間も無く「来年」が続いて来るわけですが、今年は今年の区切りとして反省し、感謝し、新たな気持ちで新年を迎えることが時間に対する礼儀であり、「残心」になるのではないかと思い、本年のコラムを終わらせて頂きます。
今年一年間、本当に沢山の皆様、お世話になりました。
お一人お一人のお顔を思い浮かべ、感謝の意を送りたいと思います。
ありがとうございました。
メリークリスマス
大阪海遊館の水槽の中からメリー・クリスマス!
右下の白いのはクラゲです。(ブレてますが)

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