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Miyajima News

2003年9月8日

日本を良くする「変な」提案

【H15年9月のコラム】
花火
琵琶湖大津の花火
夏の終わりを惜しみながら(長井実氏撮影)
日本を良くする「変な」提案
新聞・テレビでは、毎日のように20日の自民党総裁戦に向けて、4人の候補者の姿が報道されています。
私は小泉メールマガジンの一読者でもあり、小泉支持者の一人なのですが、是非とも小泉さんに言って欲しいことがあるのです。
それは「政治家のことを『先生』と呼ぶのはやめよう!」ということです。
そんなちっぽけなこと・・・と思われるかもしれませんが、これは政治家の基本姿勢として非常に大事なことであり、そのトップに立つ小泉総理にこそ是非訴えて頂きたいことなのです。
「日本の国会議員、各都道府県知事・県会・市会・町会議員にいたる全政治家諸君!我々政治家のことを『先生』と呼ばれたり、呼び合ったりするのを今後一切やめようではないか。我々は国民のために
身を賭して政治をつかさどる『公僕』なのだ!」と。
かの西郷隆盛は、「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬという奴ほど困ったものはない。しかし、そういう奴でなければ国家の一大事は任せられない」という意味の遺訓を残しておられます。
大変失礼な言い方で申し訳ありませんが、今までの日本の政治家の方々は、周りから「先生、先生」と煽てられ、有難がられたものですから「よっしゃよっしゃ」と、ついいろいろな柵(しがらみ)だらけになり、要りもしない橋や道路に国家の血税を惜しみも無く投入してきてしまったのではないでしょうか。その結果、日本は企業で言うなら年商の1.5倍以上の借金を抱える倒産危機の状態になってしまったのだと思います。
ですから、変な提案のようですが、政治家に対する『先生』という呼称廃止は、まさに「名が体を変える」効果が期待できるものであり、これができるのは小泉純一郎総理しかないと期待する次第です。
最後に自戒としまして、上記と同じことが私のような『社長』にも言えると思います。
確かに「社長、社長」と呼ばれれば誰でも嫌な気がしないものですが、社長というのはあくまでも「役割のひとつ」であり、企業経営をまともに出来なくなった時点で直ちに辞めねばならない、そういうものだと思っています。
西郷隆盛
「敬天愛人」を座右の銘とした西郷隆盛

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