【H27年(2015年)7月のコラム(第175号)】
1.たとえば、愛
人というものは、たとえ顔は笑っていても、皆それぞれ様々な「事情」を背負いながら
生きているものだ。
作家の伊集院静さんは、よく本や雑誌の中で「大人はハシャグナ」と書いておられる。
世の中というものは、不幸の底にある者と幸福の絶頂にある者とが隣り合わせになる
ことが日常あるものだからだ、という。
もう10年ほど前になるだろうか、僕は東京のある小料理屋で、偶然伊集院さんにお会い
したことがある。カウンター数席とテーブル席が一つだけしかない、路地裏の小さなお店に
友人と入り、「あれ?見たことある人だな」と気づいたのが伊集院さんだった。ご存知の通り、
若くして白血病で亡くなった女優、夏目雅子さんの元ご主人でもある。
伊集院さんは“元気な兄ちゃん”タイプの男性と二人でカウンターの左隅に座り、
時折ご主人とも話しながら楽しそうに飲んでおられたのだが、ふと僕たちに向かって
「お兄さんたち、すまんねえ。こいつ、やかましいでしょう?」と話しかけてこられたのである。
僕はびっくりして、「いえいえ、全然だいじょうぶですよ」と答えるのが精一杯だったが、
伊集院さんはそれを聞いて安心されたのか、また向こうの兄ちゃんの方を向き直し、
「おまえ、もうちょっと大人しく飲めねえのか?」みたいなことを笑いながら話しておられた
ように思う。嘘のような話だが、僕の楽しい思い出の一つだ。
自分はこういう人間の味というか情味というものには程遠い人間ではあるが、
そういう話を聞いたり読んだりすることは好きである。
私の高校時代で、忘れられないドラマがある。
亡くなった女優の大原麗子さんが、ラジオの深夜番組で九条冬子というパーソナリティを
つとめていた「たとえば、愛」というドラマだ。リスナーから送られてくる葉書やお手紙の中に、
人生のさまざまな物語があって、それを大原麗子演ずる九条冬子が、なんともいえない
独特の空気に包まれながら読む番組だ。観るたび胸が締めつけられるようだった。
人が百人いれば、百通りの人生があり、その中でさまざまな出会いと別れ、
喜びと悲しみがある。
でも私たちは、それを顔に出すことなく、日々を生きていかねばならない。
今年も早、半年が過ぎた。一年一年を大切に刻んでいきたいと思う。
Youtubeの「たとえば、愛(次週予告)」より / 大原麗子さん、きれいでした
阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の主題歌「とまどいトワイライト」もいい歌です
ぜひ聴いてみてください(上の画像をクリックするとYoutubeにリンクします)
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