【H24年(2012年)6月のコラム(第137号)】
紫陽花の季節になると、丹波あじさい寺の住職、小藪じつえいさんを思い出します
1.間(ま)
6月3日の日経新聞に、女優の梶芽衣子さんが昔、師匠の増村保造監督(故人)に
「もっといい女優になるには、どんな作品を見ればいいでしょうか」と教えを請うたところ、
「外国映画より歌舞伎を見ろ」と言われたと書いてあった。歌舞伎には「間(ま)」という
ものがある。それを学んで芝居に生かせということだったようである。
そういえばこの「間」という言葉、私の親父がしょっちゅう口にする言葉である。
父は現在70歳。
たしか十代から始めたとか言っていたが、かれこれ50年も詩吟をしている。
「継続は力なり」というが、これは本当にすごいことだ尊敬している。
父の詩吟は子供の頃からいつも家の風呂で聴かされていたので(笑)、
門前の小僧なんとやらで、自分も少しは詩吟の上手い下手がわかるのだが、
そんな父がもっとも大事にしていることが、この「間」ではないかと思う。
父は音楽が好きで、よく小澤征爾などのクラッシックも聴いているが、
「ここの“間”が、小澤はなんとも言えんのやなあ・・・」とわかった風なことを言っている。
また、“立て板に水の如し”というような流暢な挨拶を聞いた時には、
普通の人が「素晴らしい挨拶でしたね」とかお世辞(?)を言っているのに、
「あんな挨拶は、“間”がないからあかん」とか一人毒舌を垂れている。
そういう親父が実は好きである。
「間」は「呼吸」、「緩急」、「メリハリ」のようなものだと思うが、
「味」とも言えるかもしれない。
僕のようなおっちょこちょいの未熟者に語る資格は微塵もないが、
見た目や聴き心地がいいだけのものよりも、どんくさくてもいいので、
「間」や「味」のある話、仕事がしたいと思う。
さて、自分も歌舞伎を観るかなあ!
(クリックするとPDFファイルが出ます)
私の中学校卒業の時の学年新聞に、父がPTAとして書いた文章が出てきました。
なんと35年も前の文章です。(ということは父は当時35歳)
ここでも父は「間」の話を書いていましたが、息子ながらいい内容だと思います。
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